名前    由来 神河内 上河内 

上高地の名前の由来

上高地とは、現在、正式には
大正池、河童橋、明神、
徳沢、横尾。
この間の16キロに及ぶ、
梓川流域の平坦な盆地を言う。

大昔より
峠の下の村の領地として
上口、または、上河内と、
呼ばれていた。

ただ、太平洋戦争前まで
上高地の入口であり、
中心地であったのは、
徳本峠を下りた明神の地。

頭上の穂高岳が
まっ先の上高地の景色でした。

穂高岳は穂高明神の御神体。
現在名、明神岳岩峰群 。

現在は、
穂高岳と言う山が、
地図上に無いのは、
このためです。

朝焼。左から最南峰5峰、4峰、円錐の主峰

善光寺道名所図会の穂高岳、穂の様に高い

ゆえに、現在の明神地区は

特別に、「上」の代わりに

神域で、有ることから、

神を使い、「神河内」と呼ぶ、

事が許されていた。

全体を呼ぶ場合、
「上河内」から、「上高地」と、    
書くようになり、
かみこうち。

穂高神社では、
「神降地」というが、
明神とは、現人神(人間)
安曇族(海族)最初の大将軍
天から降りることは無い

穂高岳=明神岳の朝焼けは、
神降りる地を感じさせる。

北九州志賀を最初の根拠地とする
安曇族(綿積)の神です。

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