明神に住んで


私は子どもの頃、炉端の外に見た、
台風で雨の中の明神岳(本来の穂高岳)を忘れない。

険しく、しかも鋭くとがった岩肌。
それは、どんなものにも耐え、リリシク、そびえたつ。


ある意味では、孤独という人間の本質であろうか。
私の架空の父であり、そうありたいと思ったものです。

実際は、穂高の神が愛でた様に神聖な神の領域であろう。

もちろん山には登ってます。ただ、50年以上仕事で山に居るので少しわずらわしい。
山も人家も何も無い地平線の見える大草原を夢見、海を旅したい。
孤独に生きると、「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」がわかる。
大都会の中で、昔見た明神を思い出したのが、運の尽き
となってしまった。

人には、荒れた天気の中でも、そびえたつ、
この山が必要なんではないかと思う。


最近、明神からは、穂高が、見えないと言う声人が多くなって
きた為、調べてみるようになりました。

明神岳は、正真正銘の、穂高岳です。

しかし、昔は、かなりの登山家達が、登り、
ロッククライミングのメッカでもあったけれども、
又多くの登山家達が、亡くなっていった山群で有ることも事実です。
今も河童橋側からは、計り知れない険しさは、同じです。

私は、明神岳は、穂高の神の山
早朝の穂高岳の朝焼けは素晴らしい、ただ、なかなか見たもの通りに写真が撮れない
偉大な自然信仰の象徴として有り続けて欲しいと思います。
穂高の神、本当は日本全土の海の神=安曇族の親神が、
この山をいとしんだ気持が分かるような気がします。

安曇族の歴史に立ち戻ることで、自分の原点が分かるような気がします。

上高地とは何なのか、上高地「明神」とは何なのか。
ほとんどの人が、でかいザックで、徳本峠を下りてきた時代から、
ここに居た私にとって、大学受験は、英数国だけでしたが、歴史とは、面白い物だと思う。

昔は徳郷と言われた、上高地の中心地、明神
おそらく、林野庁が、明神地区を環境省(厚生省)に手放さなかったのも、
林野庁にとっても、約400年の歴史の中、
上高地全体の木材集積中心地と上高地牧場の中心地の歴史を持つ当地明神の館。
ここは、その昔、上河内の中でも神河内と呼ぶことが許された、周囲を穂高岳だけに囲まれた明神。

もちろん、明神岳岩峰群は、大正年間に単純名の穂高岳から、神の御神体で有るため改名されている。

正に上高地そのものなんだったんでしょう。

知らない人に、明神岳主峰が、槍ヶ岳と呼ばれようと、奥穂と呼ばれようと、 山の名前等ドウでも良い、素晴らしい物は素晴らしい。
昼間は、観光客が来るが、

宿泊には不便なところです。設備は、完璧にしようとしてますがランプの宿かな。。

夕方、早朝の最高の時間帯は夏でさえ静寂。

手つかずの自然が残ってるのは、明神だけでしょう。

ここで、美味しい空気と水、花々。リフレッシュし、山のきびしさを、目に納めて欲しい。

明神のこんな場所でも、欧米の感覚では、
本当の意味の山岳リゾートなんです。


トップ

目次

宿泊案内

プロフィール