松木重雄先生の明神岳



明神岳

松木重雄

 宿屋の宣伝と思われても困るが、明神館の二階から見る明神岳は、上高地で見る山のうちで
最も美しい。私はこの山の姿が好きで、昭和二十年頃から、差し支えない限り春秋二回は登る。

いっもきまった部屋に入り、窓を開けると、この表紙そのままで、「ああ来たな!」と思う。
河童橋から見る明神岳は誠につまらないが、ここから見る明神岳は気品といい、格調といい、
決してスイスの山にひけを取らない。

徳沢から見る明神、前穂や、横尾谷から見る北穂は、
いずれも構えが雄大で、前景の選択肢も豊富なので、若い頃は好んで描いた。

このごろはもう、明神止まりがせいぜい。
アルプスも見た。アンデス山脈も幾度か行った。しかし、遠い。
が、ここにこんな恰好のいい山があって倖せだと思っている。

 五月、残雪の美しい形、梢の先まで透けて見える化粧柳の新緑、鶯や山雀が囎り、
窓枠にもたれていても終日退屈しない。

なんの因果か自分でもよく記憶していないが、一度も宿賃を払ったことがなく、
「二、三日厄介になります」と入ると、主人も奥さんも三代目の若主人もにこにこと迎えてくれる。
先代の女主人からだから、かれこれ四十四、五年も無類の恩情に浴している。

あと十年で私も八十五歳になるから、それまで厄介にたれるかなあ:…・と
夏炬燵でお茶を飲みながら明神岳を見る。

近々、明神館は建て替えるそうだが、何十年も山を見続けてきたこの古い部屋がなくなってしまう
……と思うと、とても淋しい。

長野県人会連合会発行、『信州の東京』92年9月号より


故、松木重雄画伯
大正六年、上水内郡信濃町に生まれる。長野師範、東京高師、
東京文理科大学卒業。東京高師、東京教育大学教授、
筑波大学芸術学群長を経て、筑波大学名誉教授。
日本相撲協会相撲教習所主任講師(社会学担当)。

日展特選、菊花賞、会員賞を経て日展参与。

平成二年に、「勲二等瑞宝章を受章」  「示現会会長」

コメント
私の祖母の代よりのお付き合い、現在は親戚のようにお付き合い
させて頂きありがとうどざいます。
学生の頃から、絵を描く為、
そして当時は、梓川、明神池等で岩魚釣りでした。
近年は禁漁なので残念ですが、上高地をこよなく愛する人です。




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