安曇族の謎、上高地から。

      

            安曇族を調べれば、日本の古代と上高地が見えるのでは。少なくとも、上高地に立ち寄ってるのは、確かなようです。





海の神。綿津見命の神を元とする、安曇族の「あずみ」は、「わたずみ」のなまりです。

1イザナギの神−−2天照大御神ー3アメノオシホミミノ命ー4ニニギノ命ー
.......................l−月読命
......................l−スサオノ命
.......................l−綿津見命--| -1豊玉ヒメ命--|
                             
.......................l−筒之男命 .|−2玉依ヒメ命--------|
...................................................................................................|..............|
 
......................................................|..........................................|...............|----7神武天皇
   
......................................................|−3穂高見命............|-----|6ウガヤフキアエズノ命
              
 ......................................................(宇都志日金サク命)
................................................................................................|
-----------------------------------‐―5ヒコホホデ命

長女が、神武天皇の祖父と結婚し、次女が、神武天皇の父と結婚している。
綿津見の嫡子、は、穂高見の命(宇都志日金サク命)。 




1、安曇族は、連(むらじ)のかばねを持っている。安曇連です。

これは、神武天皇以前の親族に与えられた称号です

2、安曇族の主要拠点、福岡県志賀島で漢委奴国王の金印が発見

重要な一族であった事がわかる。

3、志賀海神社には、綿津見の神の外、

宇都志日金サク命=穂高見命の大きい別宮が有る。

4、日本各地に安曇の異字同意の文字を持つ場所がある。

安曇、阿曇、渥美(あずみ)、厚見(あつみ)、安曇(あど)、安土(あど)

安堂(あどう)、会見(おおみ)など。

5、海人族(あま族)の住吉族等も総まとめにして行動している。

大阪、東横堀の旧名は、安曇の江、隠岐の海(わたつみ)神社

近江の安曇川(あどがわ)、茨城の住吉、銚子の海上郡、熊野の海(わたつみ)神社

志賀から、滋賀県

アツミから、渥見半島

海(あま)から、海部郡

諏訪大社の建御名方神は、建御雷之男神に完敗した事になっている。

ですが、天然の雷が、人を倒す事は、有りえない。

7諏訪大社、下社の八坂刀売神は、穂高見命の娘と川合神社の文書に書かれている。

諏訪大社下社では、お船祭りが、有る。

8諏訪には、わだ峠と言う地名が有る。

9下賀茂神社は、綿津見族の玉依姫をお祭りし、

10上賀茂神社は、綿津見族の玉依姫の子とされる賀茂別雷神が祭神




同じ連のかばねを持つ一族は、物部とか、中臣になりますが。
安曇族を調べるのは非常に難しいです。

答えは、古代壬申の乱に有った様に思います。
中臣族(藤原氏)が押し立てた、天智天皇。
その御子と、天智天皇在命中に戦った、のは、天智天皇の弟、大海皇子
海が付く皇子である。安曇族の領地、伊勢湾、愛知、美濃、滋賀で戦う。
まさに、大海皇子側は、安曇族が押し立てたようです。
勝った大海皇子は、1代の天皇、天武天皇となる。
天武天皇は、後、自分の御子を天皇とせず、また、天智天皇側が天皇となる。
ここで、当時最大の2大部族、中臣族と安曇族の激突が有ったと思うのは違いますか?
この頃に、神話も狂い始めたのでは。。
そんな風に思われます。

更に近年、穂高命の兄弟の豊玉姫が、卑弥呼ではないかと言う話も出ているようです。




安曇族は、平安時代には少なくとも、後影も無くなっていると思います。
その後は、水軍などの形で存在したものと思います。
古代史を解き明かす重大な一族だと思います。

たとえば、建雷神が諏訪の建御名方神を相撲で負かす神話が有ります。

相撲とは、当然ながら、戦争の事でしょう。

建雷神は、天の雷様そのものを祭った、自然の神。
建御名方神は、強大な軍事力を持った、諏訪の神。
自然神が、実在神と戦った事となる。
隠されてるのは、安曇族は、この天皇家をないがしろにしていた、
諏訪族を治めるため、信濃に来たのが
最大の理由。
更に、河合神社には、諏訪神社下社の祭神は、

綿津見の娘で有ると言う文献が有ったのは明白と有る。


ところで、穂の様に高い、
穂高の山の名前の方が、神より先だった様です。
上高地にどのようにして、入ったか。
私見では、昭和新山と同じ性質の火山、焼岳を調べるのも
面白いのではないでしょうか。

参考文献 「穂高神社と、その伝統文化」青木治著外


綿津見から、ワダズミ、海津見、アマズミ、安曇、アズミと訛ったようです。
参考、穂高神社、祢宜、穂高氏。





1、綿津見神(安曇族)は、イザナギの神から生まれる。

海と水と海産物、塩などを支配し、全国に広めていた。

安曇族の主神は、宇都志日金サク命。

安曇族の彼の血族兄弟は、神武天皇の祖父と結婚したとされる、豊玉姫。

もう一人、安曇族の血族兄弟主神は、神武天皇の父と結婚した、玉依姫。

志賀海神社元寇の役などの時赫々たる神威を示したとされる。

2、兄弟関係になる、筒之男命は、住吉の神ですが、

これは安曇族の海に浮かぶ船の神様。

3、安曇族は、平安時代、食膳の職にあったが、

同じ職にあった高橋氏に、勢力争いで完全に滅ぼされる。

4、大山津見の神は、綿津見(安曇系)と見られる。

大山津見命の子、コノハナサクヤ姫は、富士山の氏神。

コノハナサクヤ姫は、玉依姫と同人物。

5、後の時代になり、綿津見の親族であると思われる、宗像神出現。
宗像神の系列に、厳島神社が出てくる。(中臣系かな)

海神社は、玄海灘に臨む交通の要所として、

聖域視されていた志賀島に鎮座。

「龍の都」「海神の総本社」とたたえられ、海の守護神として、

篤く信仰されている。



参考、博多の志賀海神社、由緒。宮司、阿曇氏のお話 お話は、非常に詳しい為、

聞き漏らしが有る場合も有り、 ご容赦。


志賀海神社



海神社今宮由緒書


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