明神の由来と 明神館の歴史

明神の由来と穂高神社・ 明神館の歴史・ 安曇族の謎

古来よりの上高地の中心、明神!

明神館の歴史は、上高地のこの地にあった、
江戸時代の中心の、杣人小屋、トクゴー小屋から始まる。

明神館には、公式には昭和8年設立、
でも本当の設立年は江戸時代初期ということでしょうか。

ウィリアム ガーランドが、峠からの景色を日本アルプスと名付けた後。

上高地を著書で世界に広めた、ウェストン卿の
上高地での最初の宿泊の宿でも有る。




登山の時代は、対岸の嘉門次小屋、山のひだや、明神池等
ほとんど目立たなかった為、
昔トクゴー(徳郷、徳吾、(徳本))と呼ばれた明神館の地は
登山者が勝手に明神館から取って、明神と呼び今に至る。

明神館横に、穂高奥宮参道標があり、
ここから、神社までは、神河内と言うことも許されている、神域。

明神−河童橋、自然遊歩道はここが始点となる。

明神池(宮川の池)の事を明神といい始めているのは、
20年ほど前に、梓川右岸に延長約5キロの
ハイヒールでも来れる様に、幅1mの観光用歩道が完成し
明神池が観光名所として、有名になりました。

ただし、幽玄な本来の明神池が、見れるのは、

明神岳岩峰群(穂高岳、穂高の神の御神体)の朝焼け後30分。

午前7時が限界です。

ちなみに昔からの左岸道は河童橋を渡らないで、2.7キロ、30分
幅2.5m、小梨平を抜け、林間を明神岳最南峰(X峰)を見て明神館に突き当たる。
明神館から、明神池は、5分ほどしかない。

ご存知のように、上高地、明神とは

河童橋、アルプス、明神池入口。徳本峠の入口。十字路分岐点の事である。


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明神と明神館


明神の由来と 明神館の歴史

明神の由来と穂高神社・ 明神館の歴史・ 安曇族の謎

古来よりの上高地の中心、明神!

明神館の歴史は、上高地のこの地にあった、
江戸時代の中心的、杣人小屋、トクゴー小屋から始まる。

ゆえに明神館には、公式には昭和8年設立、
でも本当の設立年は江戸時代初期ということでしょうか。

上高地を世界に広めた、ウェストン卿の
上高地での最初の宿泊の宿でも有る。




登山の時代は、対岸の嘉門次小屋、山のひだや、明神池等
ほとんど目立たなかった為、
昔トクゴー(徳本、徳吾、徳郷)と呼ばれた明神館の地は
明神館から取って、明神と呼ばれていた。

明神館横に、穂高奥宮参道標があり、
明神−河童橋、自然遊歩道はここが終点となる。

明神池(宮川の池)の事を明神といい始めているのは、
10年ほど前に、梓川右岸に延長約5キロの
ハイヒールでも来れる、幅1mの観光用歩道が完成し
そして池が有名になりすぎた為でしょう。

ちなみに昔からの左岸道は河童橋より2.7キロ、30分
幅2.5m、小梨平を抜け、林間を明神岳最南峰を見て明神館に突き当たる。
明神館から、明神池は、5分ほどしかない。

ご存知のように、上高地、明神とは十字路分岐点の事である。


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