 早朝の明神 |
明神館の明神岳側の部屋又は共用のテラスからは、
明神岳の正面、全容を拝むことが出来ます。
穂高大明神の関係より、当館から見える穂高は、
穂高の主体である、明神の峰々。
明神岳とは穂高岳の尊称であり、
元の名前は単なる穂高岳です。
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岩山へ登ることもなく、標高も分からない時代には、
上高地の中心であった当地からの明神の岩峰群は
立て穂の山と呼ばれ、剣の様にとんがった岩峰であるため、
穂高の中心と思われたことでしょう。
明神岳主峰2939M、明神岳第4峰、
大きく見える明神岳最南峰、明神岳東稜、2260峰、
全てがとがった岩峰です。
穂高の神に関わる為、明神岳とは、
穂高岳の、尊称といったところなんでしょうか。
当館のある位置が約1530Mですから
だいたい40から50度くらい見上げたところに
主峰があります。
明神主峰の事を、あれが奥穂とか、
明神最南峰の事を、あれが槍ヶ岳とか、
皆さんいろいろに言っているようです。
目線より高いところにある為
知らずにすぎてしまう人も多い。
登山には要注意。岩峰で在る上に崩れやすい、
昔はロッククライミングの場所でもあったのです。
一般人には容易に立ち寄れない正に神の為の山なのです。
昔より、多くの登山家の命を奪ってきた山です。
安易に手を出さないで下さい。
岩がもろく、よく見れば最南峰東面に85度の切り込みもみえます。
ちょっと位置を移動して徳沢まで足をのばせば、
明神の大東壁が正面に見えます。
又徳沢寄りに5分10分、30分と移動するに従い、
明神第2峰、第3峰、前穂主峰も見えて来て、
連なった状態で徐々に景色が変化します。
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昔の徳本(とくごう)の地、
現在は明神、又は明神十字路分岐と呼ばれています。
上高地牧場の本来の牧場の跡です。
上高地バス停から3キロ、日本アルプスへの主街道、
明神池を経由して河童橋へ抜ける延長5キロの自然歩道始点、
島々から徳本峠を越えてくる信濃遊歩道終点、
500Mの、穂高奥宮(明神池)参道は、ここから始まります。
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参道標は96年新しいものに替えられました。
たまに、時間が無いのか、参道標前で手を合せていく
登山者も有ります。
標識は外に有りますが、
河童橋から来て脇目も振らず真っ直ぐ、
徳沢方面へ行ってしまう明神池探訪者もしばしば。
気が付けば当館スタッフも注意しています。
又、右岸を通る、河童橋、明神歩道の終点です。
当館前には、少なくとも2本の小梨が有り。
通常6月初めが満開日となります。
白い花の成り年は2本で1年交代です。
明神館反対側のベンチからの明神岳も良い。
このベンチは登山者が使うことが多いので、
一般の人は、見逃す事が多い。
とりあえず近辺では、公衆便所はここだけです。
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 朝もやの明神池
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明神館よりゆっくりで徒歩7分。
明神館前の穂高奥宮、明神池参道標から、
明神池への参道が始まります。
春は左右に花の群落と新緑を見ながら、
早朝はうるさいほどの小鳥のさえずりを聞きながら、
明神橋まで、橋を渡り左へ、20M程下りれば、
右手にすぐに鳥居が見えます、
その真正面が、明神池。
古くは、宮川の池と言う。
綿積の神、穂高大明神を祭る穂高神社奥宮の
御手洗い池が明神池です。
社から見える1の池、外に2の池、3の池も有ります。
明神池は上高地で唯一私有地。
拝観料96年現在250円です。
江戸時代より奥宮参りも有りました。
穂高見命(綿積神、海神、神武天皇の外戚)は
海、戦、旅行、車、外交、貿易、治水、穂高鎮守、
そして産みの神。
是非あなたも、池にとらわれず、拝んでいって下さい。
池は特に神秘的です。
特に朝もやがかかると文句が無い。
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 明神館前、明神池入口参道標
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明神橋の明神館側は、
江戸時代には、与久郎の地と呼ばれ、
ほとんどの上高地の木材はここに集積され、
徳本小屋(明神館)に宿泊した、松本藩役人に検分され、
松本へ川流しされました。
この地には、与久郎大橋という、
当時、上高地唯一の橋が存在しました。
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穂高神社奥宮参拝、対岸(右岸)との往来、
上高地湯屋(温泉)を経て飛騨へ抜ける
街道として意義があったのです。
近代に入り、与久郎大橋の消失により、
河童橋が設置されたというところなのでしょうか。
与久郎大橋の消失と共に明神池から河童橋へ抜ける
梓川右岸道の存在理由が無くなり、
距離的にも、河童橋から明神(明神館所在地)の方が
はるかに近いため、
河童橋からは明神館、徳沢園、横尾 に至る
梓川左岸道だけになりました。
20年ほど前になり、営林署砂防管理用林道が出来、
又その後、環境庁の計画により、
梓川右岸にも歩道ができるようになりました。
明神橋は、河童橋の後又は、ほぼ同時に出来たものと
思われます。
明神橋からの頭上に明神岳最南峰の眺め、
又遠くには、蝶ヶ岳も望めます。
近くの河原は広く開け、のんびりとしている人々も
見受けられます。
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明神館から徳沢側へ約200M3分程。
古くからの街道である徳本峠と
徳沢・横尾への分岐点にある橋です。
白沢の梓川本流への出合にあります。
白沢は以前は暴れ川だったためか、
元々の徳本峠の入口は、
明神館前、徳沢寄りにありました。
明神館前の池は、白沢の伏流水です。
徳本橋から梓川に入ると知られざる絶景地です
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白沢の渡ということで白沢の橋という人もいます。
白沢の出合が、昔の徳本の地になります。
とりあえず、徳本橋としましょう。
たまに地図等に、明神館の地を、
明神分岐という記述もあります。
明神池及び徳本峠への分岐が
元々の徳本の地、現在は一般に山の人のいう、
明神の地と言うことでしょうか。
徳本橋から梓川に少し出てみれば、
明神岳岩峰群が見えます。
特に開けた河原で有り、知る人も少ないため、
穴場でです。
更に徳沢方面へ20分位は道からの展望が効き
明神岳に、前穂も加わり徐々に景色が変わります。
徳本橋の分岐では、夜、徳沢から下りてきた場合、
道の左手の山づたいに、
橋を渡らず徳本峠に入り込みやすい。
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明神館より河童橋側へ200M、3分。
白砂の沢筋跡、白砂によって枯れた木々、
新しく芽生え育ってきた、唐松の若木、が有り
印象的な風景です。
25年ほど前までは、この場所は特に無く、
明神館前の池から小川がここの先まで、流れていました。
時折昔おいでの方が、
違うところへ来てしまった様な
印象を持たれるようです。
頭上の明神岳最南峰、左に2260峰、
更に左に西穂高が、見えます。
お休みしている人が多い。ゴミは持ち帰って下さい。
河童橋から明神館へ来る場合、河童橋から約30分で
ここになります。
国立公園内で有り、特別名称上高地であるため、
私共の道標は、出すことが出来ません。
ここで後どのくらいかわからなくなり、
五千尺ホテルに戻って電話をかけてくる人も
たまにいます。ご苦労様です。
夜は比較的開けた場所の為道に迷うこともある。
ただ平坦なところを突っ切るのみです。
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