徳本峠−−−古代から上高地の歴史を伝える街道

日本アルプスの命名の地



イギリス人技師、ウィリアム ガーランドにより、

ウェストン卿の来る、はるか以前に命名されてます。


また、徳本峠と名付けられたのは、

大正2年の5万分の1の地図で、誰も知らないうちに初めて、

上高地徳郷へ行く峠だから、と、名付けられました。


徳本峠−−−穂高展望台

峠付近からの穂高連峰

明神を中心に、前穂、奥穂、西穂


見晴し・ 登り方・ 峠の周辺
注意事項・ ウェストン祭

徳本峠からの見晴らし
徳本峠からは、昔からの穂高の山並を望むことになります。
特にカラット晴れている時は最高です。
正面北面は、すべて穂高です。

まず、鋭い峰々が連なります。
明神岳主峰から第5峰まで、及び前穂主峰です。
その奥に奥穂の山群が高原状にのぞいています。
その西方向、奥穂左側が西穂の山群です。

条件が良ければ、西穂の後方に笠岳もちらり。

明治時代以前には単に峠として目にも止められなかった景色。

標高が有りますので、少なくとも30分で体が冷えてきます。

峠へ登る途中の明神


徳本峠への登り方
明神館(明神)より、登り、通常1時間半から2時間で、
峠に到着します。


人通りもあり、ほとんど迷う心配は無いと思います。
6月以降は、スニーカーで十分のぼれます。

徳本橋(白沢の出合)から約30分程広い道を進みます。
林の中の道。春は、入口付近にシャクナゲ、
進んだところで、にりん草の群落が、あります。
少し開けた所が有り、後方の明神岳を眺めて一服も、
明神見晴し台とでもいうべき場所です。


右方向に治山用の広い道が分岐していますので、
看板を見てください。
ここからは、細い山道となります。途中3個所程、
小さな沢を渡ります。
この水は一応飲むことができるようです。
徳本峠には、水場が有りません。

最後の、水場からは、 峠まで通常20分から30分。
傾斜がきつくなるため、
向かって右方向からジグザグに登ります。
峠手前で、右方向に六百山方面への分岐があります。
道標も有ります。要注意です。

峠には、徳本峠小屋が有ります。
昔ながらの小さな小屋でジュース等も一応あります。
宿泊も可能で、10人位なら十分。
時には、50人ほどになることもあります。

支配人一人が4月下旬から11月初旬常駐していますが、
買い出し等で、日中、又は、2、3日の間、
留守になることもあります。

登りっぱなしの道なので、1時間程度で、
帰ってくることも可能です。

普通の大人で半日、子どもずれだと、約1日の日帰りが、
出来ますし、又山に慣れてない方は無難だと思います。

春、5月いっぱい程は、雪の為、冬道使用直登になります。
スパッツ、アイゼン要ります。

街道の為、安曇村島々宿からも、約通常7時間で、
峠へ登ることも出来ます。
途中に、岩魚留の小屋もあります。

峠の道の状態については、
徳本峠小屋(0263ー95ー2545)で直接お聞き下さい。

徳本峠周辺
峠には、徳本峠小屋(トクゴウ峠の小屋)が有ります。
出来た頃のままの小屋はここだけです。


支配人一人が常駐しています。荷揚げに苦労しています。
春は、2、3週間人を全く見ないこともあるそうです。

近辺では、キャンプも可能です。
展望台もあります。

ここから、大滝山を経て蝶ヶ岳に抜けることも出来ます。
ただし、大滝山から徳沢に降りる事は出来ません。
稜線上ですが、樹林帯の中の道で、ほとんど見晴しは利きません。
ここから霞沢岳、六百山にも、出られます。
霞沢岳からの景色も良いですが、峠からの往復がいっぱいです。

春山の季節にはこの山塊へは、手を出さないのが無難。
又熊も当然います。

注意事項
峠には水場はありません。
持っていくか、途中の沢で補給して下さい。


峠の小屋では軽い昼食ならあります。
ただし、居ない場合も有ります。それなりに準備。

歩いているうちは、汗をかきます。
でも峠は標高があります。20分ほどで冷えます。

峠で宿泊する場合は、予約するのが安心です。

明神から峠、島々から峠の道は長野県道、信濃自然歩道に指定されおり、
道を外れない限りまず安心です。


道を外れると、特に島々側は、山が深い為、迷うことが、
あります。出てこれなくなる場合もあります。
迷ったと思ったら必ず元に引き返すことです。

自然の中ですから、猿、カモシカ、月の輪熊等に、
出会う場合も有ります。特別人を襲う動物ではないですが、
特に島々側で熊を見る場合もたまにはあります。
これだけは、距離を保ってどこかへ行くまで待って下さい。

ウェストン祭
イギリスの宣教師、故ウェストン卿は、安曇村島々宿の旅館、
清水屋の御主人の案内によって初めて徳本峠を越えました。

この後上高地へ降り、上高地徳郷の小屋(明神館)へ泊り、
翌朝、梓川を渡り、徳郷の小屋(上高地牧場)配下の山に詳しい者、
奥原誠一と上条嘉門次の2人の案内で登山をすることとなります。

その後、ウェストン卿の著書により、上高地が、一般人に知られる事になる。

これが日本近代登山発展の始まりとなります。

為に、日本山岳会は、ウェストン祭を開催しています。
6月第1土曜日、安曇村島々宿から、朝6時出発、峠越え。
翌第1日曜日、ウェストン碑前にて午前10時式典です。
主催−日本山岳会信濃支部

ウェストン祭後は、一般の方でも容易に峠へ登る事ができます。

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